『シュタゲ』と『未来日記』の相違点

『シュタインズ・ゲート』が終わったら

『未来日記』が始まった。

両者ともアニメで『時間』を取り上げてる。

前者の原作はゲーム、

後者はマンガ。

ちなみに、

前者はパラレルワールドな世界で

過去に戻れる。

行動を変えて世界を変えようとしても、

ある時刻において結果は収束してしまう。

逃れらない運命。

後者は一度切りの時間を生きる。

未来の出来事が書かれた日記を読めるが、

その結果は自分の行動や

周りの人の行動が変わるだけで

刻一刻と変化する。

バタフライエフェクトがハンパない。

必ずその出来事が起こる『運命論』に対して、

自分で道を切り開いて行く『意思論』。

『時』に関する設定の違いで

こうも作品が変わるものかと興味津々なり。

その『未来日記』で唯一不満な点は、

主人公の日記にdead endが書かれていること。

アニメの設定は、

それぞれの未来日記を持った

10何人が最後の一人になるまで

相手を殺し合うゲーム。

その主人公の日記には、

周りの出来事が細かく書かれている。

しかし、

自分を傍観者として記録してきたために、

自分に関することは書かれていない。

なのに、

それにはdead end、

自分が死亡する時刻と原因が書かれている。

それって自分のことだから、

書かれることはないはずじゃないか?

しかも、

dead endになったら

自分で日記書けなくないかって。

その疑問に対して、

「各個人の文体に合わせて誰かが書いた

未来の日記」ということであるならば、

話は分かるのだが。

『dead end』じゃなく、

何も書かれていないのであれば、

自然な気はするけれども。

どうなんだろう。