「意味の有無」について。汎用性が高いがゆえの功罪
おととい、何気なくニコ生で新着放送を見ていた。
その中で生主が誰かに「読書なんて意味あるの?」と言われ、うまく答えられなかったためか不満をつらつらと述べていた。
それを聞いて私は「意味の有無」について違和感を感じた。
意味は時と場所により決められ、含められ、与えられるものだと思った。
例えば、机の上にりんごがある。
そのりんごはりんご自体であり、りんご以外何物でもない。
そのりんごがもし、ニュートンが重力を発見した品種であるなら歴史が付与される。
上記の「読書」は行為であって、行為はただの行為でしかない。
それをすることで何が得られるかは「意味」ではなく「結果」だ。
知らない英単語を見て「意味」を調べる。
実際、意味自体ではなく訳語を知りたいだけだ。
まとめ
「意味」という言葉は汎用性が高い。
なるべく他の言葉で言い換えた方がよい。